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介護のことボケてしまったお年寄りの介護・・・介護する家族にとっては本当に苦労が |
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お断り・・・ボケのことを「認知症」と呼んでいますが、介護する家族には やっぱり「ぼけ」ているという言葉のほうがしっくりくると思うので、あえて 「ぼけ」という言葉を使います。ちなみに私自身は「ぼける」という言葉は 愛情をもって使っています。 最近では「ボケの介護」に関する図書も多く、介護教室もあちこち で開かれていますし、社会的支援サービスも充実しつつありますか ら、地域でぼけてしまったお年寄りを支えようという空気が高まって いるように思います。 しかし、24時間在宅で介護を続ける家族・介護者にとっては、 たとえ正しい知識としての介護法を学んだとしても、また支援サービ スが増えているとはいっても、それだけですべてが解決されるわけで はありませんよね。 介護者自身の心の葛藤も乗り切りつつ、介護を続けていかなければ ならない・・・ぼけてしまったお年寄りの介護が、介護者自身にとっ てどのような位置づけになるのか、介護者自信が自分の気持ちを見つ め多くの迷いを抱えながら、自問自答を繰り返しながら介護を続けて いる〜これが現状だと思います。 カウンセリング的支援を求める人が増えている今の介護事情〜利用 者の方は「介護をする知識は十分に持っているが、長い期間介護を続 ける場合、自分自身の内面の問題をどう処理したらいいのか」が、 一番の関心ごとのようです。 かく言う私自身は、幸いなことにまだ実際の介護経験はありま せん。が、まだ学生で実家にいた頃同居していたおばあちゃんが早く からぼけてしまっていて(もっともこれは後になってわかったことな んですが)、母が20年近く介護している様子を見ておりました。 おじいちゃんは、頭のほうはしっかりしていましたが、体がきかなく なり、最終的には下のお世話などの介護が必要になっていました。 ですから、我が母は20年以上の間、義理の父母両方を介護し続けた ことになるのです! あっぱれ!!お母さん! ですよね〜。 今だから笑えるエピソードがたくさんありますが、当時はそれこそ ノイローゼものだったのだろうと、母の苦労を思うと頭が下がる思い です。とはいえ、当の本人は天性の明るく前向きな性格と、太陽のよ うなパワフルなエネルギーの持ち主ですから、「まあ大変だったけ ど、いい経験だったわよ」と今でも懐かしい様子で話してくれます。 そんな強さの中に秘めた深い情(介護をしている当時はおそらく、 愛情などという生易しい気分ではなかったはずですので)に触れられ たことは、私自身また私たち兄弟にとってとても素晴らしい贈り物で あったと、確信できるのです。 具体的な話をすると・・・一番強烈な思い出は「うんち隠し事件」 でしょうか・・・ 実家はリビングを中心に左右にそれぞれ二部屋と三部屋が隣接する つくりで、おじいちゃんとおばあちゃんのお部屋は、六畳間が二つ続 いたお部屋でした。その一番奥の六畳間が、なんだか臭い!! ということになり、両親が部屋を点検しましたが何も見つからず・・ でも、どうやら押入れから匂うらしいということになり、布団を一枚 ずつ出していたら、なんと!!布団と布団の間に、ぐるぐるまきに隠 されたうんちまみれの腰布が〜〜〜!!(おばあちゃんはずっと着物 で生活していた人でしたので)腰布はすでにかぴかぴに干からびて 変色して固まっていたそうです。 おばあちゃんはぼけ始めてからも、時々ピピっとコンセントがつな がるときがあり、そういうときに自分のしてしまった粗相が恥ずかし くなるらしく、隠そう隠そうとしていたようです。探してみると あらら、あちらにもこちらにも・・・どうりで匂うはずだと、今では すっかり笑い話ですが、当時は仰天ショックものでした。 おばあちゃんの話をしだすときりがないくらいたくさん出てきます。 ごく初期の頃はいきなり私の部屋にきて「これ形見だからあげる ね」と、ダイヤの指輪を私にくれたのです。びっくりして母に話すと 「じゃあとりあえず預かっておいたら」と・・・で、何時間かすると (あるいは何日かすると)「私の大事な指輪がない!どこにも ない!」とはじまり「おばあちゃん私にくれたでしょ?」と話すと、 「ああそうだったわね〜」と私には落ち着いた様子で笑顔を見せるの ですが、母に対しては「あなたがぬすんだんでしょ!」・・・・ こんなことが何回かあって、ようやく家族が「あれ?」と思い始める のですが、もっと前から兆候は出ていたようでした。 でもなかなか気がつかないんですよね〜。まだ60代の頃に、先ほ どもふれましたが、おばあちゃんとおじいちゃんは着物で生活をして いた人でしたから、おばあちゃんの大好きな娯楽の一つに、呉服屋 さんへ反物を買いにいくことがあり、それこそ毎日のように通っては 熱心に生地を選んでいたそうなのですが、そのうち呉服屋さんのご主 人から連絡があり・・・「奥様は何時間もかけて選んでいかれるので すが、またしばらくすると、あるいは次の日にはやっぱり違うものが いいと、取替えにこられるのですが・・・ちょっとご様子が」と。 家族では気がつかない、気がつきにくいちょっとした様子が、 第三者のほうが意外と気がつくようなことも多いですよね。 そのうち食事をし終わって部屋に戻っても、またしばらくすると 「ご飯はまだ?」と出てきたり。 ほんとにボケの王道をいくようなマニュアルどおりの進行具合だっ たように思います。 それでもおじいちゃんが在命中は、おじいちゃんが一人でそれを 背負い、どうにかこうにかしのいでいたようなのです。普段とても穏 やかで、昔は「大旦那さん」と呼ばれるくらい周りから信頼の厚い 立派なおじいちゃんだったのに、奥の部屋からおばあちゃんを怒鳴る ような声が聞こえてきていたそうです。きっとおじいちゃんも 「こんなはずじゃないのに、いったいどうしちゃったんだ?」と、 ボケを理解するという前に「どうして??」という気持ちが先にたち、 おばあちゃんに対する苛立ちになってしまったのでしょう。 そうやって一人で(特に母に迷惑をかけたくなかったのだと思いま すが)おばあちゃんのことを背負って、イライラして奮闘していた おじいちゃんを思うと、今でもなんだか寂しくて、全然わかってあげ られなくて力になれなかったまるで役立たずの孫だったと、涙が出て きます・・・。 おじいちゃんが他界したのは、私が大学生のとき、昭和最後の年 でした。昭和天皇崩御のニュースを見ていたおじいちゃんが、 「わしももう疲れた」と独り言を言っていたのを思い出します。 おじいちゃんを見送ってから、おばあちゃんのボケの進行速度が 加速して、あれよあれよというまに、私たち孫もわからなくなって しまいました。 ウンチ事件が発覚したのはそんな頃で、その後は頭の中のコンセン トのつながりがほとんどなくなってしまったのか、粗相してしまうと 畳にウンチをこすりつけたり(!)普段すわないタバコをすっては、 畳に押し付けて消したり(!)、いきなり家を出てパトカーで帰って きたことは数知れず。 それでもオムツを嫌がり、名札を嫌がり、そういうプライドみたいな ものは結構長い間持っていたように思います。 おばあちゃんがふらふらと家から出てしまうので、どうしてもおば あちゃんを一人にしてしまうようなときは、リビングのドアを外側 から施錠することがよくありました。そうするとおばあちゃんはどう しても開かないドアをガンガンゆすって「この家は中から鍵がかかっ ている!」と怒っていた様子を思い出します。 私が就職したころからは、地域のデイサービスを利用するようにな り、朝は小さなマイクロバスが家のそばまで迎えに来てくれました。 でもみんなの利用する時間がまちまちだったせいか、送ってはくれな かったので、私や弟たちが車で迎えに行きました。母は免許をもって いませんでしたから。 その帰りの車の中で、おばあちゃんは幾度となく「どなたか存じま せんが、いつもありがとう」と頭を下げて子供のような笑顔で笑うの で、私は思わず「迷子の迷子のおばあちゃん〜あなたのおうちはどこ ですか?」と鼻歌を歌いながら運転したものでした。穏やかな夕方の 時間でした。 でも、孫や家族も認識できなくなってからは、むしろ真っ白な子供 の心を感じることが多かったように思います。だんだんと笑顔が穏や かになり、デイサービスでは対応しきれないくらい体がよわってきて からは、完全介護の老人ホーム(病院?)に入るようになりました。 残念なことに、私は一度もそこを訪れたことがありません。ちょう ど結婚、出産、子育てを始めたばかりの頃で、自分自身の生活に精一 杯だったせいもありますが、千葉の山の中の病院で、気軽に行ける距 離ではなかったのです。弟たちがよく母を乗せて、おばあちゃんに会 いに行っていたのは、本当にありがたかったです。最期を看取ってあ げたのも、父と母と弟たちでした。 おばあちゃんを看取った後、弟が夜中に私に電話をくれて、臨終の 様子を聞かせてくれました。 その後のお葬式で、父が「最後におばあちゃん、って声をかけたら (もうその頃は危篤状態でまったく意識がなかったようなのですが) 涙がつーっつとほほを伝って流れたんだよ。あの涙は、よかったなあ ・・・」と、話してくれました。 きっとおじいちゃんや、おばあちゃんにとって懐かしい人たちが、 みんなで迎えに来てくれて、喜びの中でおばあちゃんは旅立って行っ たのだろうと思います。 介護って一言でいうほど、簡単なものではないし、それこそ一歩間 違うとお互いの命を縮めてしまうような悲劇を生み出すことだってあ りえるほど、深い問題なのだと思います。でも、過ぎてしまうと、 介護中の辛く大変で苦しかったことは薄れ、逆に嬉しかったこと、 感激したことは懐かしくかつ鮮明になり、時間の経過とともにそれが 顕著になるような気がします。 でもそれぞれの環境の中で、苦悩の日々をすごしながら、必死に 自分たちの歩むべき道を探し続け選び続けて進んできたからこそ、 それをやり遂げた自分自身を誇りに思うことができるのではないかと 思います。特に介護は先が見えない、いつまでという期間がわからな い分、重苦しい荷物に感じますよね。そんな大変な荷物をほうりださ ずに、きちんと見届けられたという自負。自分を誇りに思えるってほ んとに素敵なことだと思います。だからこそ、いい思い出になるので しょうね・・・。 介護を続けている人の心の動きを、少しでも参考にしていただけた らと思い、わかる範囲でまとめてみました。もっとも私自身は介護の 経験が絶対的に不足していますので、あれ?と思う部分はみなさんの 知識・経験で補充していただけたらと思います。 ★ボケの初期は誤解されやすい時期 「嫁はぼけているといい、娘はぼけていないという」・・・初期の頃は外部の人に対して、あるいは娘や息子などに対してはしっかりした面をみせるけれど、普段一番かかわっている人に対しては、おそらく安心感からか、まったく違う面を見せることが多々あります。これはホンとです!! だから、一番近い人が「?」と感じたら、疑わず、様子を見てあげてください。 昼夜を問わない徘徊・拒食・暴力・不眠といった傾向が現れる人もいます。 ★混乱期 家族ははじめ、老人の気になる言動に出会っても、年のせいとか、性格のせいだとか、あるいは一時的なものだと考えることが多いようです。身内として老人の衰えを認めたくない気持ちも働くからでしょう。(うちは父がそうでした)さらに、長年の生活リズムを崩したくないという思いから、そんな大変な病気を受け入れたくないという気持ちも働くようです。 ついつい老人の言動に口うるさく注意したり訂正したり、しっかりしてほしいから叱咤激励したりあるいは老人の言動を自分への嫌がらせだと受け止めたり・・・まさに混乱の時期だといえます。 ★拒絶期 介護をする立場の人は、老人の様々な不可解な行動に振り回されて、心身ともに疲れ、さらには今まで自分が築いてきた生活リズムをまったく壊されてしまうことに動揺してしまいます。このような状態のときには、たいてい他の家族(介護をしない人たち)に対して、不満を爆発させることも多々あります。だから余計に家族はちょっと遠巻きにしてしまうような態度をとってしまうものです。 適切な協力が得られない状態に加え、心配の余りなのでしょうが、たまに顔を出しては意見だけする(決して具体的な協力はしない)親戚たち(とくに、結婚して別居している娘など)から、まるで介護者が悪いかのような言い方をされる・・・そうなると、介護者は「どうして私だけが!」という思いに駆られ、ボケの老人を憎む気持ちになってしまう〜そんな思いが不適切な対応となり、さらにぼけ老人を追い詰め、さらにそれが介護者に跳ね返り深い溝を創ってしまう・・・最悪の悪循環のはじまりですね。この時期で「介護はもう限界だ」と訴える人が多いのも事実です。 ★居直り期 介護者は辛い時期を経て、悩みながらも月日を過ごし、多くの経験をしていきます。もしも介護から逃れようと、子供をつれて実家に戻ってみたところで、新たな問題をかかえることになり、逃げることは懸命な選択ではないということに気がつきます。 このように現実を見つめると、あきらめの気持ちとともに、今まで何とか過ごしてきたのだから、これからもやれないはずはない、といった前向きな気持ちも芽生えてきます。さらに様々な経験を得ることで、身をもって介護の大切さを知る時期が訪れます。やれるだけやろう、と苦しみながらも居直りの選択をすることができます。そして介護者がこうした前向きな姿勢になると、家族の積極的な協力を得られることが多くなるようです。 ★受容期 比較的長期、在宅介護を続けている人はこの境地に達している人が多いように思います。無理をして頑張りすぎたりして自分を追い詰めることなく、自然体で介護を続けている〜そして決して一人で抱え込まず、辛いときは辛いと話し、助けてと手を差し出して周りの援助をうけることができるようになっています。多くの人の協力を得て、ボケ老人の意に沿うように工夫を重ねていけます。このような心境で介護を続ける方に出会うと、人間としての大きさや懐の深さを感じ、頭の下がる思いがすることもしばしばです。 続柄による介護者の心理について ★嫁の場合 介護者はまず嫁が一番多いようです。ぼける前の人間関係が、その後の介護を非常に左右しています。さらに夫との夫婦仲の良し悪しも大きな影響を与えます。介護は信頼関係が非常に大切な要素になるといえるでしょう。 もしも人間関係が満足のいくようなものでなかった場合。ボケ老人に対する問題行動の受け止め方も深刻度が増し、介護者は被害者意識が大きくなるようです。 ★娘の場合 親の衰えを認めたくない気持ちが働き、病気を認めるのに時間がかかる人が多いようです。しかし一度理解すると、今度は全部自分の手で介護したいと望んだり、かつ近所や知人に知られたくないという気持ちもおこるようです。が、時間がたつにつれ自分ひとりでは到底無理だと実感し、悩むことが多いのでしょう。娘が親を引き取って介護している人は、かなり夫に遠慮している人が多く、特に夫からその介護を疑問視されている人はとてもストレスを感じています。夫には親の衰えをあまり話せず、かつ子供にも負担をかけたくないと一人で頑張りすぎてしまう人が多いのもそのせいです。 在宅介護が限界になり、施設入所を選択した場合も、はたしてこれでよかったの?と自責の念を感じる人もいます。 ★妻の場合 夫婦仲が円満だった妻ほど、夫の衰えを周囲に隠したいと思うようです。夫の過去の栄光をそのままのイメージでもち続けてほしいから、一人ですべて背負って頑張ってしまう人が多いようです。 しかしこのような介護は、お互いが心理的に追い詰められてしまうことがよくあります。 逆に不仲だった夫婦は、これまでも散々苦労させられたのに、なんでまたボケた介護までしなければいけないのかと、被害者意識を強めてすぐに施設入所を希望する人がいます。また同居の家族がいる場合は、嫁や娘に任せて一切関係ないと手を出さない妻もいるようです。 ★夫の場合 以前は妻がボケた場合、娘や息子の嫁に介護を任せるケースが多かったようですが、最近では夫場介護する家庭が増えているようです。夫の場合は、昔いろいろ苦労をかけたからと、よく勉強し工夫し前向きに介護に取り組んでいる人が多いようです。このような状態であれば、妻は精神的に落ち着いていますが、なかには、妻の実態を受け入れられず「情けない、しっかりしろ」などと大声で怒鳴ったり、直ちに病院に入所させるといった夫もいます。 ★息子の場合 仕事の関係で息子が介護しているケースはほとんどありません。介護しているとすれば独身か自営業か、あるいは割りに時間の融通の利く仕事をしている人、または留守中ヘルパーなどを利用している場合です。息子の場合は、冷静に勉強し相談なども利用して、介護を論理的に考え酔うとする人が多いですが、下の世話にはかなり戸惑うようです。 など、様々な立場で様々な思いが交差して、介護が行われていますよね。介護者あるいは介護している家族を支えることが、ボケ老人も支えている〜もしもこれから自分にもおこりうることならば、無理せず助けてといえる人でありたいと思います。 そういう意味で心の準備をさせてくれた、おじいちゃんとおばあちゃんにほんとに感謝していますかつ、何よりも偉大なる母に、ありがとうを伝えたいです。 今どんな状況の方であれ、どうか一人で悩まずまっすぐ前を見て、自分自身と向き合いながら、ゆっくり進んでほしいです。いつの日か自分に胸を張って「えらかったね!がんばったね!」といってあげられるように・・・・・。 |
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